適応障害になり1か月程度休職した経験があります。これまで「休職」というものを経験したことがなく、ずっと元気に働いてきたわたしにとって辛い経験となりました。
しかし振り返るとあの時休職を経験しておいて良かったとも言えます。今日は休職してからわたしに起こった心の変化と休職するまでの流れについて振り返りながら書いていきます。
傷病手当金に救われた
まず生活費の心配をしていましたが、傷病手当金の申請を行ったことにより一旦お金に困ることはありませんでした。
お金の心配をし続けた結果心がやられてしまっていた部分もあったので、この経験で「お金はきっとどうにかなる!」と思えるようになりました。
それでもやっぱりお金は稼がなければならなかったけど、あの時頂いた傷病手当金は心を強く持たせてくれるものでした。
転職を決意するきっかけになった
休職を経験した当時勤めていた会社は、わたしに全く合っておらず劣悪な環境でした。しかし生活費や将来設計の心配をしており転職に踏み切れずにいました。
「転職したとしてもお金はなんとかなるのではないか?」と休職をきっかけに考えるようになり、自分のやりたいことに挑戦したい気持ちがまた少しずつ湧いてきました。
そこで少し元気になった頃から転職サイトに登録し、転職活動を開始。仕事に復帰してからも転職活動を続け、3か月後に無事転職することが出来ました。
収入は少し減ってしまったけど、自分に合った会社に勤めることが出来たおかげで心は穏やか。今は満たされた生活を送っています。
自分自身の行動思考の振り返りが出来た
休職に至った理由は「職場で嫌がらせに合った」「会社内でも一番激務部署で仕事のストレスが大きかった」建前上はこの2つが主な理由ではありました。
しかしわたしのストレスは実は別にもありました。
不妊治療がうまくいっていなかった、東京から地方都市へ移住したばかりで友人がいなかった、夫の転職により収入が大幅に減り、生活費を稼ぐ必要があった…
書き出すときりがないくらい、当時のわたしは追い込まれていました。
元々レジリエンスが高く前向き、と周りからは言われますが、この時のわたしの視野は完全に狭まっていました。
会社では入社して間もなかったこともあり自分の意見や思いを言えませんでした。そして人間関係は劣悪…毎日体を引きずって満員電車に無理やり乗っていましたが、だんだん会社を休みがちに…
本当のわたしは全然レジリエンスなんて高くない、そして前向きでもないと自己肯定感も下がり落ち込む毎日でした。
1度落ち込み始めるととことん落ちていく。休日も何も楽しめない状態になっていました。
こうなる前に、解決できる部分を解決し逃げ道をつくっておけば良かったと、当時振り返ったときに思いました。
例えば1人暮らしではなく夫婦2人暮らしのため夫に生活費について相談をする、友人をつくるために休日は外へ出かけてみる…
不妊治療や職場の人間関係について改善することは物理的にはなかなか難しいですが、それ以外のストレスについては改善の余地もありました。そんなことも気付けないくらい追い込まれていたんだな、と休職してからようやく気付くことが出来たのです。
休職することになった当日の朝、布団から起きようとしても体が動かず涙だけ出てくるようになりました。
そこでわたしはようやく限界に気付き、職場に「今日は休みます」の連絡をいれました。そしてたまたま空きのあった近所の心療内科を受診。「適応障害」という診断書をもらって帰りました。
夜間は眠れていたため、「不妊治療もしているならとりあえず内服はせずに休むだけ休みましょう」と医師に言われました。
病院から帰宅後はなぜか心身ともに疲弊しており、昼過ぎまで何も食べずに眠っていました。その日の夕方に直属の上司に電話で報告。とにかくこれが一番嫌だった…「どう思われるか」「何と伝えれば良いか」そんなことばかりグルグル考えて結局1時間後くらいに電話で報告しました。
上司は淡々としていました。「休職するに当たって必要書類を郵送で送りますのでまた返送をお願いします」と言われその日は電話を切りました。
電話を切ると安心したのか眠ってしまっていました。
適応障害という診断で休職が決まった日はそんな1日でした。
休職した経験は良かったと言える
身心共にボロボロだったあの頃の経験は、一生忘れることはないと思っています。
休み始めた数日は体が思うように動かず、自宅に引きこもっていました。しかし1週間も経過すると少しずつ身心が元に戻ってきて、じっくり自分と向き合うことが出来ました。
休職理由は、会社のことばかりが原因でないこともあるのではないかと、自分が経験してみてから思っています。様々な要因が重なり、身心に限界がきてしまう。わたしの場合はそうでした。
わたしも1度休職したけど、むしろ前向きな人生が今送れています。限界がくる前に少し立ち止まることは、決して悪いことではなかったと、わたしは声を大にして言いたい。
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