懐かしい思い出

映えない暮らし

ここ数日、本当に暑いですね…。ニュースでは危険な暑さと報道していますが、まさに危険。うっかり帽子を被らず外出したら、頭皮が日焼けして皮が剝けていました。日焼け対策気を付けよう。

初夏に生まれたわたしはもともと夏が大好きで、夏の思い出は数えきれないほどあります。海水浴に行ったり山に行ったり友人たちとビアガーデンに行ったり…。洋服も夏服の方が圧倒的に多い👗

コロナも5類感染症に移行したので、今年は久しぶりに新品の夏服購入しました。昔はボーナスが入ったら迷わず新しい洋服買ってたけど、今は月々のお給料から余った分を貯めて、貯まってからもう一度考えて買ってる✨だから洋服はお気に入りしかありません。

最近で一番良い買い物出来た✨

そして夏がくると、上京前に母と2人で行った地元の花火大会を思い出します。

わたしは結婚するまで約30年間、地元の田舎町から出たことがありませんでした。

結婚が決まりそうだなぁとなんとなく思った独身最後の夏に、母を花火大会に誘いました。2人で花火大会に行くなんて最初で最後かもしれないと思ったからです。

地元では大きな花火大会で、人混みがあまり得意ではない母は、少し疲れた様子でした。しかし「こんな立派な花火久しぶりに見たわ~!」ととても楽しそうでした。

帰りの車の中で母は、「来年から〇〇(わたしの名前)はいないかもしれないね~」とぼそっと寂しそうに呟きました。今でもそれが忘れられません。

その翌年にわたしは1人で上京し結婚しました。

新型コロナウイルスにより丸1年家族に会えない時期もありました。それでも母は、あの花火大会以降、寂しさをわたしに見せることはありませんでした。

母は30年以上会社員として勤めており、毎日とても忙しそうでした。朝早くから出勤し、わたしたちが寝静まった頃に帰ってくることもよくありました。そのため、幼少期の母との思い出はあまり記憶にありません。

わたしが社会人になってすぐに母は体調を崩し入院、そして会社を退職しました。その後専業主婦となりわたしたち家族をサポートしてくれました。

就職してから5年間程実家で生活していた時期があります。その頃のわたしは仕事がかなりハードで、勤務時間も不規則、真夜中に出かけることもありました。

そんなわたしをフルサポートしてくれていた母。毎日お弁当作りを欠かさず、夜中に出勤するときは必ず一緒に起きて、玄関先まで送り出してくれました。専業主婦になってからも、わたしたち家族のために毎日働いてくれました。

そんな母のサポートもあり、わたしは過酷な労働環境を乗り越えることが出来ました。

そして実家で過ごした5年間は多くの時間を母と共有することができました。休日はよく2人で買い物に出かけ、父も誘って3人で旅行にも行きました。

上京してしばらくの間はホームシックになり、母に毎日電話をかけていました。前向きな母はわたしの弱音を全て笑いに変えてくれました。

あの頃のホームシックを乗り越えられたのは、一番は夫のサポートがあったからでした。それに加え、遠方に住む母の存在が精神的な支えになっていたことは確かでした。そのおかげで東京生活も現在の生活も楽しむことが出来ています。

今のわたしがあるのは母のおかげだと思うくらい、わたしにとって母の影響は大きかったです。暑くなると寂しそうにしていた姿が蘇り「今頃何してるかな」とふと考えてしまいます。しかし地元で過ごしたたくさんの思い出がわたしの心の支えになっています。

母が幸せでありますようにといつも願っていますが、きっと母はそれ以上にわたしのことを思ってくれているはず。

昔の思い出に触れるたびに、今の幸せを維持していきたいと強く思います。それは自分のためでもありますが、母や周りの大切な人たちのためでもあります。

母から与えてもらった愛情を、今度は夫や周りの大切な人たちに与えていけるようになりたい。与えられる人間から与える人間になることがわたしの目標の1つでもあります。

お盆ももうすぐだし、近々顔出しに実家に帰ろうとふと思った今日でした🏖️

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